新型コロナウィルスの件

日常の風景

新型コロナウィルスに感染して療養・闘病中の方々、お見舞い申し上げます。不自由だと思いますが、くれぐれもお大事にされて下さい。

新型コロナウィルスとの闘いの前線で治療や対応に奔走されている方々、本当にお疲れさまです。職務とはいえ有形無形の色々な犠牲を払われていることと思います。難しいかもしれませんが、くれぐれもご自愛ください。

 

テレビもネットも、連日新型コロナウィルス関連のニュース。連日どころか、スマホには一日に複数回、コロナ関連の速報が入ってくる。しかし、もうこのタイミングで「xxx県で新たにxx歳代の夫婦二人のコロナウィルス陽性が判明」とか、「xxx県でxx歳のコロナ陽性の男性が死亡」とか、そういった細かいUpdateに意味があるのだろうか、と思う。感染された方や亡くなった方は本当に気の毒だと思うが、もっと他に伝えること、他の伝え方があるのではないか?と思う。

感染初期であれば、封じ込めのためにそのような詳細情報も必要であったかもしれない。ただ、その際も、行動経路など詳細情報の開示が伴って初めて「情報」としての意味を成すものと思う。プライバシーやら風評被害やらへの配慮は理解できるが、もう少しやり方があったように思う。(これは開示範囲を決めている国・自治体・団体等の問題なのかもしれないので、メディア側へ文句を言うのはお門違いかもしれない。ごめんなさい。)

戻り、現段階での一人増えた、二人増えた、というレベルの速報がさほど重要とも思えない、という話。今日2月26日の段階ではすでに複数の経路不明の感染が起こっており、初期封じ込めへのトライフェイズは終わっているわけである。となると、もはや陽性反応の増加人数程度の情報であれば、速報を打つまでもなく、夜にサマライズするくらいではダメだろうか?「もうそれをタイムリーに知っても意味なくない?」と。

陽性反応が出た人の数を無造作に速報で投げて、無意味に不安を煽った挙げ句(不安にならない人もいると思うが私は不安になる)、「皆さん、冷静な判断を」「皆さん、節度ある行動を」などと言われてもシラケてしまう。

同じニュースを見てもひとそれぞれ受け取り方も違うだろうし、そこに意味を見出すか、無意味と思うかも千差万別だろう。私が両断する筋合いでないことは承知である。

ただ、最近の記事・ニュースを見ると、伝える側の意図がどこにあるのだろう、と不思議に思うことが多い。国民・日本・国際社会のために貢献していく、その行為を通して企業として成長していく、という矜持はあるのか?と。まあ全ての企業がそんな立派な矜持を持つ必要はないだろうし、大きなお世話かもしれない。が、マスコミは社会の公器なんて言われるので、それくらい求めても良いのかな?なんて思ったりして。(松下翁「企業は社会の公器である」)

今回の速報ラッシュのせいではないが、無知な私は完全にビビり、予定していた海外旅行をさしたる根拠もなくキャンセルしてしまった。しかしいくら調べてみても、どの段階においても確たる行動指針が見当たらず、となるとコンサバ目に行動しよう、となるのは当然かと思う。

情報の取捨選択については、いつの時代も自己責任であることは間違い無い。しかし、今日のように色々なメディア・情報が入り乱れている中、常に正しい情報・ソースを取捨選択し続けることは容易ではなく、多くのケースで露出度合いの高いメジャー媒体のニュースを信じる・影響を受けることになるのが現実だろう。バイアスかかりまくりである。

ぜひメディアの方々には、私のような情報弱者にも優しい報道・発信をして頂きたい。「うそはうそと見抜ける人でないと難しい」全くもってその通りだが、なんとかご慈悲とご配慮を。

長文になったが、要するに「メディアのせいでビビって海外旅行をキャンセルしたよ。これであっという間に収束したら複雑な気分なんだけど、、」という話である。

 

P.S ちなみに今日届いた速報で一番ビックリしたのは長瀬くんのジャニーズ退所情報だった。

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